男爵ひろし様の小説

背徳の肖像

 嵐の大海原を漂う一隻の帆船、今にも沈みかけている。
「船長!もうこれ以上、舵を抑えきれません!」
「仕方がない!全員、救命ボートで離船するんだ!」
「分かりましたぁ!よし!みんな、手を貸せ!」
荒れ狂う大波で揺れる船上、乗組員達が懸命に作業をしている。
「これで全員かぁ!」
「はい!船長!」
「よし!早く本船から離れろ!沈没に巻き込まれるぞ!」
遂に帆船が沈み始めその勢いは救命ボートをも巻き込む。
「うわぁあああああああああああああああああああ!」
殆どの救命ボートが波に飲み込まれた。只、一艘のボートを残し。

数日間、孤独に海を漂流したボートの中には、一人の若い女が意識を
失っていた。やがて何処かの海辺に辿り着く。
「おや?こんな所にボートが。あ!女の人が!大変だ!」
町での買出しを終え丁度この海岸に差し掛かった一台の馬車から、
初老の男が海辺に打ち上げられたボートに近寄る。
「お嬢さん!お嬢さん!御気を確かに!お嬢さん!」
「う〜〜〜ん、あ!こ、ここ・・・は?」
「よかったぁ、気が付かれましたか」
「あ、あなたは?私はどうして?・・・」
まだ、意識が朦朧としている彼女。男の手を借りて上体を起こす。
「ここはブリテン海岸です。恐らくお嬢さんは難破してここまで
漂流して来られたのでしょう。あ、申し送れました。私はハンスと
言う者です」
「難破?・・・そうだわ!船が沈んで、それから・・・」
「とにかくもう直ぐ日が暮れます。私の主が居られる螺旋城に
参りましょう」
「螺旋城?」
「はい、お嬢さんのお怪我の手当ても致しませんとなりませんので」
「有難う御座います。ではお言葉に甘えさせて頂きます。あ、私の
名はエリザベスと申します」
「それでは参りましょうか、エリザベス様」
馬車に乗り一路、螺旋城に向かう二人。次第に闇に包まれて行く。

城の表門を抜けて馬車を降り、正面玄関から城内に入る二人。
「御主人様、只今戻りました」
「ご苦労、うん?ハンス、そちらのお嬢さんは何方かな?」
「はい、御主人様。城に戻る途中ブリテン海岸に打ち上げられて
いた所を、私がお助けした方に御座います」
「初めまして、夜分に突然お伺いして申し訳ありません。私が乗船
していた船が沈没してしまい、漂流して海岸に辿り着いた所をハンス
さんに救って頂きました」
「それはさぞ、大変だったでしょう。私はこの螺旋城の主、オスカー・
フォン・オーベルシュタイン男爵。そこの者は執事のハンスです」
二階から続く螺旋階段から黒いマントに身を包み、この城の主が彼女
の傍へと近寄る。
「あ、申し送れました。私はエリザベスと言います」
「おや、エリザベス。怪我を成されていますね。ハンス!手当てを
して差し上げなさい。それと新しいドレスに着替えて貰いなさい」
「畏まりました、御主人様。ではエリザベス様、こちらへ」
「エリザベス、手当てと着替えが済みましたら、夕食の用意を差せます
ので食卓の方へお出で下さい」
彼女の手を取りその甲に軽く接吻をする男爵。
「あ、有難う御座います。それでは後程に」

暫くしてハンスに案内され食卓に赴くエリザベス。男爵が彼女の席の後ろ
に立ち、腰掛けさせてから自分の席に腰掛ける。
「戴してお持て成しは出来ませんが、我が城の御客人としてごゆっくりと
滞在して下さい。エリザベス」
「オーベルシュタイン男爵、有難う御座います。私の様な者にここまで
御親切にして頂き、何と御礼を申し上げれば良いのか分かりません」
「とんでもない、貴女の様な可憐で御美しい方とこうして食事を、御
一緒させて頂くのは身に余る光栄ですよ」
「まぁ、男爵ったら。お口がお上手ですのね。あは!」
「そうですか?あははははは!」
和やかな雰囲気での食事と会話が続いている。ふと、エリザベスが男爵
の席の後ろに立て掛けられている肖像画に目を向けた。
「まぁ、何て御綺麗な女(ひと)かしら。男爵、この肖像画の貴婦人は何方
ですか?」
「この肖像画ですか。私の妻ですエリザベス。いや、妻だったと申し上げ
るべきか。もう五年前に成りますが、疫病に感染して間もなく他界してしま
いました。・・・・・・」
それまで笑みを浮かべていた男爵の表情が沈む。
「申し訳ありません男爵、軽率でした。お許し下さい・・・・」
エリザベスの表情もまた沈み込む。そして男爵が彼女に語り掛ける。
「気になさらないで下さい。妻、グリューネワルトとの想い出を未練がましく残していた私に罪があるのですから」
「お辛かった事でしょうね・・・・」
「男とは有る意味で女性よりも、失った相手への郷愁の念を断ち切るのが
不得手な生き物なのかも知れません。雨が降り続く日々に窓から夜空を眺めながら、この雨が銀河の星と成り輝き続ける妻と、私の心の悲しみをいつの日にか全て洗い流してくれるのではないか。等と想う時がありますね」
「銀河の星と人の心の涙ですか。男爵って詩人なんですねぇ・・・」
「いやぁ、只只、女々しいだけですよ。でも、エリザベス。貴女を見ていると妻の面影が偲ばれますよ。その腰まで伸びたブロンドの髪、コバルト・ブルーの瞳が若い頃の妻に良く似ています。もしかしたら妻が貴女を私の所へ導いてくれたのかも知れませんね」
「もう!男爵!天国の奥様が聞いたら怒られますよ。でも、嬉しい」
「あはは!これは失礼しました。おや、もうこんな時間か。エリザベス、お疲れでは?今夜はもう休んだ方が良いでしょう。つい、長話に付き合わせてしまい申し訳ない」
「いいえ、私の方こそ。お料理とても美味しかったですわ」
「それは良かった。では、お休み。エリザベス・・・」
「はい、お休みなさい。男爵・・・」
「ハンス!エリザベスを寝室にお連れ差し上げなさい」
「畏まりました、御主人様。ではご案内致します、エリザベス様」

翌朝、朝食を食べながらの会話の席で。
「エリザベス、そう言えば貴女の故郷はどちらですか?」
「デスターランドの片田舎の町、シャンプールです男爵。ブランドル王国に五年留学していて今度、卒業しましたので帰国の途中に嵐に・・・」
「デスターランドですか。ここガルマンブルク国からだと可也離れていますね」
「ガルマンブルクだったんですかここは!どうしよう、両親には三ヶ月後に帰ると連絡したのに・・・・」
「ここからだと半年は掛かるでしょう。それに旅費や荷物も無くした事でしょうから。そうだ!再度ご両親に手紙を書き、少し帰国が遅れる事を連絡しては如何でしょう。エリザベス。我が城で暫くは滞在なさい」
「そこまでご迷惑をお掛けしては・・・・・・」
「まぁ、そう遠慮せずに。せっかくだから町の展覧会にでも行きませんか?」
「展覧会ですか?」
「そうです。この国の芸術文化に触れて見識を高めるのも良いのでは」
「分かりましたわ、男爵。それではお言葉に甘えさせて頂きます」
「この私とハンスしか居りませんので、この城を我が家と思って寛いで下さって結構ですよ」
「はい。有難う御座います」
「リィ〜ン・チリィ〜ン」
呼び鈴を鳴らして執事のハンスを食卓に呼ぶ男爵。
「御主人様、お呼びでしょうか」
「ハンス、これからエリザベスと町の展覧会に行く。馬車の用意を」
「畏まりました。では食器を片付けましてから、馬車のご用意を・・」

螺旋城から町までは凡そ一時間程掛けて辿り着く。
「御主人様、私はここでお待ちして居ります」
「うん、では、エリザベス。私と一緒に参りましょう」
先に馬車を降りて彼女の手を握りエスコートをする男爵。
「男爵はよくこの町に足を運ぶのですか?」
「まぁ、週の内二〜三度は訪れて芸術家が集うサロンに行きますね」
「サロン?」
「彫刻家、音楽家、絵画家が集まり情報や意見交換をするのです」
「まぁ、それは素敵。良い勉強に成りますわ」
「さぁ、着きましたよエリザベス。絵画の鑑賞を楽しみましょう」
町の中央にある美術館に入り、様々な絵画を楽しむ男爵とエリザベス。
「それにしても男爵。入口の傍から並ぶ絵は戦争を描いているのに、ここからは平和な光景の絵が並んでいますけど何か意味でも?」
「えぇ、この国の歴史を象徴しているのです。嘗てガルマンブルク国は皇帝と門閥貴族が支配する帝政国家でした。当時、我がオーベルシュタイン家の曽祖父のシャルンフォルスト・フォン・オーベルシュタイン公爵は、怠惰と汚職に明け暮れる門閥貴族達の高慢な欲望を満たす為、多くの罪無き庶民達を捕らえて宮廷内で公開拷問を行い、その地位を確固たる物にしていました。その残虐非道な行為を日頃から快く思って居なかった祖父のウィルリッヒ・フォン・オーベルシュタイン伯爵が、同じ志を持つ少数の貴族と民衆を引き連れて帝国に対して叛旗を翻したのです」

「でも男爵。皇帝陛下は強力な軍隊をお持ちだったんでしょう?」
「確かに軍隊は持って居られました。ですが、長い間は対外的な戦争をしていませんでした。また、軍隊内部にも腐敗が蔓延していたのです。一方、ウィルリッヒ伯爵を頭(かしら)に指揮系統が統一された叛乱軍の勢いは目覚しく、正規軍を悉(ことごと)く打ち破り、遂には皇帝と門閥貴族を打倒したのです。以来、この国にも民衆による議会制民主主義が確立したのです」
「そんな事があったんですかぁ。あ、でも男爵。皇帝と門閥貴族はともかく、同じ貴族の伯爵と共に戦った貴族達のその後はどうなったの?」
「皆、爵位を放棄しようとしましたが、人民から民衆の為に戦った彼らに、敬意を表す意味で爵位を名乗る事を許されました。それはお互いに立場が平等である事を踏まえる事と、人の上に立つ者は足元で支える大勢の人々を、決して疎かにしてはならないと言う教訓も含めているんですよ。エリザベス」
「良く分かりましたわ男爵。それと・・もう一つお聞きしてもいいかしら?」
「何ですか、エリザベス?」
「私、余り貴族の方々の爵位が良く分からないのですが?」
「これは失礼しました。では簡単に説明しましょう。まず貴族社会には貴族院と言う組織があり、上院と下院とに分かれています。次に爵位は五段階に分かれていて上位から、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の五等級と成ります。その等級によって領地の格差が決まり、特に上院の構成員に対して使われるのがこの五爵位です。お分かりに成りましたかエリザベス?」
「有難う御座います、男爵。大変、勉強に成りましたわ」

「それではエリザベス。サロンの方へ参りましょう」
「はい、男爵」
この美術館の一廓にあるサロンに行く二人の前に一人の男が現れた。
「おや、ナイト・バロンじゃないか。うん?今日は珍しく御婦人と同伴とは」
「男爵。こちらの方は何方ですか?それにナイト・バロンって?」
「ご紹介しましょう。彼は彫刻家で同時にこの美術館の館長でもある、ルードビッヒ・バン・クロイツェン子爵です。子爵、こちらの御婦人は当家の客人で名をエリザベスと申します」
「初めましてエリザベス。クロイツェンと申します」
「こちらこそ、初めまして子爵」
「ナイト・バロンとはオーベルシュタイン男爵のあだ名ですよエリザベス。グリューネワルト男爵夫人が亡くなられて暫く、昼夜を問わず螺旋城の自室に閉じこもって居たので闇の男爵と呼んでいるのです」
「酷いですわ!失意の男爵をつかまえて!思い遣りの欠片も無い事を」
子爵の言葉に憤りを表すエリザベスに男爵が語り掛けた。
「エリザベス、それだけでは無いのですよ。妻が他界する以前から私は毎夜、自室に妻を呼んで肖像画を描いていたのでそう呼ばれているのです。結構、気に言っているんですよ。あははは」
「もう!男爵ったら!」
「ところで男爵、例の肖像画は完成したのかね」
「いえ子爵、まだです。中々良い構想が浮かびませんので」
「それは残念!卿の作品を心待ちにしている仲間達の為にも是非、頑張ってくれたまえ」
「分かりました子爵、最善を尽くします」
「ではエリザベス、私はこれで。当美術館をご存分に堪能して下さい」
「はい、有難う御座います。子爵」

クロイツェン子爵と別れた男爵とエリザベスはその後、サロンで他の芸術家達と出会い会話を楽しむ。
「エリザベス、こちらの二人は私の友人です」
「初めまして、エリザベスと申します」
「初めましてエリザベス。私は音楽家のリヒャルト・ミュラーです」
「宜しくエリザベス。私は絵画家のレオポルト・ラーケンです」
ミュラーがエリザベスに語り掛ける。
「どうでしたか?展覧会のご感想はエリザベス」
「はい、とても素晴らしい作品ばかりでしたわ。それとこの国の歴史を学ぶ事が出来て大変嬉しく思います」
また、ラーケンも語り掛けて来た。
「辛い日々を乗り越えて得た平和の尊さを、絵画、彫刻、音楽と言う形で後世に伝えるのが芸術家の使命と思っています」
「まぁ!なんて素晴らしい思想だこと」
オーベルシュタイン男爵がミュラーに語り掛ける。
「ミュラー、久し振りに君のピアノの旋律を聞かせてくれないか?」
「では、エリザベスとの出会いを祝して・・・・」
サロンの片隅にあるピアノを弾き始めるミュラー。
「♪♪〜♪♪♪〜〜♪〜♪♪〜〜♪♪♪♪・・・・・」
美しい旋律に暫し時を忘れて耳を傾ける三人。日差しも傾き始める。
「そろそろ城に戻りましょうか、エリザベス」
「そうですわね、男爵。それでは皆さん、また素敵なお話しを聞かせて下さいね」
「そうですね、男爵、エリザベス。またお会い致しましょう」
サロンを出た男爵とエリザベスはハンスが待つ馬車へと向かう。

「お帰りなさいませ、御主人様、エリザベス様」
「ハンス、城に戻るぞ」
「畏まりました、御主人様」
町から螺旋城へと戻る馬車の中でエリザベスが男爵に尋ね掛ける。
「男爵、美術館でお会いしたクロイツェン子爵が言ってらした例の肖像画って何ですか」
「未完成のままに成っている絵画の事です。貴女には関係ない事ですが」
「もし差し支えなければ一度拝見して見たいわ」
「それは・・・・・・・・・・」
何かを戸惑う表情をする男爵にエリザベスは・・・・
「どうしたんですか男爵。私何かいけない事でも?」
「いえ、そうではありません。ですが・・・・・・」
この後、二人は無言のまま馬車は螺旋城に戻る事になる。
「エリザベス、今夜は先に休ませて貰いますね。ごゆっくりと食事をなさって下さい。では、お休み」
「お休みなさい男爵」
食卓で一人夕食を食べているエリザベスの胸中は重い。
「エリザベス様、ワインのお替りは如何ですか?」
「いえ、もう結構です。ところでハンスさん、男爵はどうされたんですか?」
少々間を置いてハンスの口が開く。
「御主人様は苦しんで居られるのです。ご自分の血統と奥様への想いで」
「それはどう言う事ですの?」
「これ以上は私の口からは申せません。いずれ御主人様から何か・・・」
エリザベスの問い掛けに首を横に振るハンス。
「分かりましたわ。では、お休みなさい」
「お休みなさいませ」
寝室に戻りベッドに入るエリザベス。
「男爵は何を思い詰めているのかしら?」
そう思いながらもいつの間にか彼女は眠りに付いた。

翌日、エリザベスはデスターランドの両親へ事の次第を記した手紙をハンスに預ける。それから一ヶ月が過ぎたある夜の事、いつもの様に食事をしているエリザベスに男爵が語り掛けた。
「エリザベス、いつだったか私の未完成の絵画を見たいと言ってましたね」
「はい」
「では、これから私の部屋までご一緒して頂けませんか?」
「宜しいのですか男爵。ご迷惑じゃ」
「いえ、構いません。貴女にお話ししたい事がありますから」
「分かりましたわ」
食事を済ませて男爵の後から螺旋階段を上り部屋へと赴くエリザベス。初めて男性の部屋に入る躊躇いと好奇心で扉を開ける。
「まぁ、綺麗なお部屋ですこと。家具も年代物ばかりだわ」
「ほう、年代物にお詳しいのですか?」
「えぇ、こう見えても私、骨董品には少々煩いんですよ」
「それは初耳です。祖父が骨董品に目が無くて集めたんですよ。私はあまり詳しくはありませんが」
暫く骨董品に目を輝かせるエリザベス。そして・・・・・
「ところで男爵、お話しって何ですか?」
布で覆われた額縁を持ってエリザベスの傍に行く男爵。
「これを見て下さいますか?」
布で覆われた額縁を男爵から手渡され、中身を見るエリザベスは驚愕した。
「こ、これは!男、男爵!この絵は?」
「これらは全て私が描いた妻の肖像画です。驚きましたか」
それは確かに男爵の妻、グリューネワルトの肖像画であった。只、一般的な絵画とは違いそこに描かれていたのは、男爵夫人がドレスを着たまま或いは、コルセットを付け下着姿のままロープで縛られているのである。椅子に腰掛て後手に縛られ両足をも揃えて縛られている構図、立位のまま後手に縛られて片足を膝から天井に吊るされている構図、テーブルの上に仰向けで大の字に縛られている構図、後手に縛られ両足を揃えて縛り、後ろに反る様にして螺旋階段から宙吊りした構図、両手を頭から伸ばして天井から吊るした構図、後手に縛り足をあぐら状に縛って前のめりにして、馬車の荷台に縛り付けた構図等が描かれていた。
「エリザベス、以前、私の曽祖父の話しをしましたね。その曽祖父の血を受け継いでいるせいか、私はこう言う形でしか女性を愛する事が出来ません。でも、曽祖父の様に拷問に掛け耐え難い苦痛を与えるのではなく、女性をロープで縛りその戒めに眉を歪め、苦悶した表情を描くのが好きなのです」

「奥、奥様は反対されなかったのですか?男爵」
動揺を隠せないエリザベスはそう尋ねた。
「始めは妻も拒みました。しかし、私の懸命な説得が見を結び妻は承諾してくれました。私はそれがとても嬉しく毎日毎晩、妻を縛りその姿を描き続けました。また、一枚の絵を描き終える度に妻を抱き、いつしか妻の体内に二人の愛の結晶が宿り私達は大変に喜びました。だがそれも束の間、妻が疫病に感染して間もなく母子共々他界してしまいました」
「・・・・・・・・・・」
無言で男爵の話しに耳を傾けるエリザベス。
「その時、私はこう思いました。いつの間にか私は妻も私と同様な愛し方に喜びを感じていてくれていた。私の愛の形は正しいものだったと。でも、それは誤解だったのかも知れない。妻は愛しい夫の為、自分の心を偽り私に同情していただけなのかも知れない。その事を私に悟られない様に振舞っていてくれたのかも知れない。もし、そうだとしたら私は自己満足の世界に没頭した、只のエゴイストに過ぎない。だから天罰として神々が私から妻を奪ったのだと」

落胆しながら語る男爵にエリザベスが話し掛けた。
「そんな事はありませんわ、男爵。きっと、運命だったのよ」
あまり良いフォローに成ってはいないとは思いつつ、そう言う事でしか慰める言葉を見出せないエリザベス。
「有難う、エリザベス。でも、そんな自暴自棄に陥っていた私を救ってくれたのが、クロイツェン子爵、ミュラー、ラーケンの三人でした。私を見舞う為に螺旋城に訪れた彼らが、妻の肖像画を見てその妖艶な描写と構図に感銘してくれたのです。一度、個展を開いてみたらと言う提案がありましたが、妻への想いがそれを拒んでいたのです。ですが、そこにエリザベス。貴女が私の前に現れた事で未完成だった肖像画を完成させたいと思い始めたのです」
男爵の言う言葉の意味を容易に理解したエリザベスは・・・・・
「でも、私は奥様の様には・・・・・・・・・・・・・」
「今直ぐに返事をして頂かなくても結構です。突然の事ですし、数日お待ちします。只、私から貴女にお願いしたいのは、共に縛りの世界の美学を追求して欲しいと言う事です。それを貴女に分かって頂きたかった!勝手な事ばかり申し上げて済みません。今夜はもう、お休み下さい。エリザベス」
「はい、では、お休みなさい。男爵」
寝室に戻りベッドの中で男爵の言葉を一つ一つ思い浮かべながら眠りに付く。

数日後、男爵に知らず知らずに想いを抱く気持ちに気付いたエリザベスは、
男爵に心の内を伝えた。
「男爵、私、決心しました。協力させて下さい。まだ、男爵の思想に辿り着くまでは行かないかも知れませんが、頑張りたいと思います」
「有難う、よく決心してくれました。それに焦る必要はありませんよ。私達には時間が充分あるのですから」
「ところで男爵、未完成の絵ってどんな物ですか?」
「これです、エリザベス。神々の暮らす天上界から追放された天使が、人間界の様々な柵(しがらみ)と言うロープで縛られる姿を描きたいのです」
「わぁ!何か責任重大って感じがして来ましたわ」
「あはは、そんなに肩に力が入ると疲れますよ。それと、絵が完成したら一度、エリザベスのご両親にお会いしなくては」
「何故ですか?」
「昨夜、私の夢の中に妻が現れてこう言うのです。あなた、やっと素敵な女(ひと)と巡り会えたわね。私の事よりエリザベスを大切にしてあげてね。私は煌く銀河の星と成ってあなた達をいつまでも見守っているから。それと、エリザベスに伝えて欲しいの、夫の事を宜しくお願いしますとね。と、言ったんです。だからエリザベス、貴女と結婚したいと・・・・」
「男爵、う、うぅぅぅぅ・・・・・・・・」
「エリザベス、私の求婚を受けて頂けますか?」
「はい、男爵。喜んでお受け致しますわ」
その後、この二人は目出度く結ばれた。そして完成された幾多の肖像画は美術館に飾られて広く人々の心を捉えたのである。


人はいつ頃から縛ると言う行為を始めたかは定かではない。また、その全てを完全に否定し得る者も存在しない。縛りと言う甘美な戒めに酔い痴れる者に与えられた羞恥心と言う名の媚薬。もしかしたら神話の楽園から追放された人間に、神々が最後に残して頂いたエデンがそこに在るのかも知れない。そして人間はこれからも縛りの世界の美学を未来永劫、探究し続ける努力を決して惜しまないだろうと私は思う。

「 背徳の肖像 縛りの美学   完結 」


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